「練習」とは何か? その本質を考えてみる
はじめに
子供の頃から、私たちは数限りなく「練習」をしてきました。算数の練習問題、鉄棒・逆上がりの練習、卒業式の練習、そしてピアノの練習。
これだけ数多くの「練習」をやってきたにも関わらず、「練習って何?」という質問に対して、明確に答えることはできるでしょうか? 私の答えは、これまで「練習って、できるようになるためのものでしょ」程度のものでした。
しかし、ほぼ毎日繰り返している「練習」とは何かを明確に定義づけない限り、「よい練習」はできないはずだ、と思い至ったのです。
あらためて「練習」について考えてみました。
権威ある事典で「練習」を調べると
まず、『ブリタニカ国際大百科事典』において、「練習」はこのように解説されています。
特定の行動をより能率的に行うために,あるいは特定の習慣を形成するために一定の行動を反復して行うこと。練習による行動の変容過程は,(略)横軸に試行回数,縦軸に作業量の測度をとり,いわゆる練習曲線として描くことができる。
『ブリタニカ国際大百科事典』小項目事典より
これをピアノの練習に当てはめると、「(芸術的な)演奏を能率的に行うため、一定の行動を反復して行うこと」となりそう。ピアノの練習による演奏の変容は、試行回数(練習の効果)と練習量による練習曲線として描くことができそうです。
また、『日本大百科全書(ニッポニカ)』では以下のように解説されています。
心理学的には、精神的または身体的作業の望ましい方向への変容(作業時間の短縮、質の向上など)を目的として、その作業を反復することと説明される。したがって練習には、作業を反復して行う側面と、その結果として作業が望ましい方向へ変容していく側面とがある。前者を「練習活動」、後者を「練習効果」という。[中原忠男]
『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館より
どうやら、練習する際は、反復して行う「練習活動」と、その結果として演奏が望ましい方向へ変容する「練習効果」の関係性を意識する必要がありそうです。
「練習曲線」とは
『ブリタニカ国際大百科事典』においても、『日本大百科全書(ニッポニカ)』おいても、「練習」の補完説明として「練習曲線」という言葉を取り上げてます。
「練習曲線」は重要なキーワードのようです。
練習による作業の進歩、向上の過程は、横軸に練習期間、縦軸に練習効果をとった練習曲線で表される。
練習曲線は、練習の内容や方法によって、また練習効果として何をとるか(一定時間内の作業量、一定作業に要する時間、正答率など)で、いろいろな形のグラフとなる。
(1)初発努力――練習の初期は先行学習の転移、興味、特別な動機づけなどで強い努力が示され、効果があがる。 (2)プラトー――飽き、疲労などのために進歩、上達が一時停滞する現象。 (3)終末努力――練習が終わりに近づいたことに気づくと一段の努力がなされ、効果があがる。 (4)最終プラトー――練習は最後に、これ以上効果があがらないという極限に達する。しかし、動機づけを高めるとさらに進歩する場合がある。生理学的にこれ以上進歩しないとされる極限を生理的極限という。[中原忠男]
『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館より
また、「練習曲線」の例として、下の図が示されています。
よほど強い意志を持っている人以外は、ピアノの前に座ると、漫然とした練習をこなしがちです。
まず、練習を始める前に、上の「練習曲線」の図をイメージしつつ、今、どの段階にあるのかを意識した方がよさそう。
特に、(B)の「飽き、疲労などのために進歩、上達が一時停滞する」段階は必ずあると考えた上で、 (C)に持っていくモチベーションが大切である気がしました。
練習とは「洗練された芸術」である
最近、『成功する音楽家の新習慣 -練習・本番・身体の戦略的ガイド』という本を購入しました。その冒頭で、20世紀を代表するヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインの含蓄ある言葉が引用されています。
練習は苦行ではなく洗練された芸術であり、本能、霊感、忍耐力、優雅さ、明晰さ、バランス感覚、そして何より、動きと表現にさらに磨きをかける方法を追究するものだ。
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリスト)
「練習とは洗練された芸術」
この言葉は目からウロコでした。
この言葉の解説として、音楽芸術は演奏者と聞き手の相互作用(=本番)により成立する。練習の目的は本番に備えることであると述べた上で、練習とは「自分が持つ音楽性を高めると同時に、曲をマスターして披露するために行う、意識的で創造性に溢れたプロセス」と定義づけています。
「意識的で創造性に溢れたプロセス」
2つの言葉を防音室の壁に貼って、練習を始める前に唱えるだけで、意味ある練習時間が過ごせそうな気がします。